「スキャンダラスなボルドーワイン」

以上のタイトルの本が出版されました。作者はアメリカ人ジャーナリスト ウイリアム・エチクソン氏、訳者は立花 峰夫氏。ボルドー・ワインに知識があり、ご興味のある方にはおすすめの本です。

「シャトーとは投資の対象というよりもむしろ、フランス語でいう(ダンスーズ)であり、つまりは見せびらかすためにある。シャトー・ラトゥールを所有するフランソワ・ピノーがニューヨークに旅した際のこと。エリート層は誰一人として、ピノーがプランタンという小売チェーンのオーナーであることにも、フランスで最も裕福な人物の1人であることに興味を示さなかった。だが、私がシャトー・ラトゥールのオーナーだと言ったら、突如として敬意をもって扱われるようになったのだ。」


フランス語でいうダンスーズとは北朝鮮の喜び組みたいなものかな。つまりシャトーのオーナーで大金持ちになった人はいなく、大金持ちや他のビジネスで成功した人間がシャトーを所有するのだ。

「エイブラハム・ロートンは1739年、アイルランドからフランスへ移民してきた。彼の興したクルティエ会社は今も同じ一族が営んでいて、直系のダニエル・ジョージ・ロートンが現在の当主である。近年においてはクルティエもおおむね固定化した階級となっており、新規に参入するのは難しい。
カリフォルニアで生まれ育ったジェフリー・デイヴィスが初めてボルドーにやって来たのは19歳だった1972年、当時はカリフォルニア大学のからの交換留学生という身分だった。仕事を始めた当初、デイヴィスはゥルティエを飛ばして、ボルドーの生産者から直接ワインを買い付けようと試みたことがある。当然のことながらクルティエは反発し、生産者もそれに倣ってデイヴィスにワインを売らなかった。」


以上の文章の中にワイン販売において世界で唯一と意ってよいボルドー・ワインのクルチエ&ネゴシアン・システムがよく現れている。確かにややこしい流通システムだがアメリカのカルト・ワインのようにメールで直接消費者に販売することもない。それらのキー・ワードは生産量である、特一級シャトーでも10,000ケース以上ありカルト・ワインは500−1,000ケースである。ジェフリー・デイヴィス氏が当社に来た時も100年たってもメドックのシャトーは買えないと言っていた。

「テュヌヴァンは、異色の醸造家である。フランス移民の子として1951年にアルジェリアで生まれ、リブルヌに引っ越してきたのは10代のころ。フランス人はテュヌヴァンのような北アフリカ生まれの同胞をピエ・ノワールと呼ぶが黒い足を意味する。」


勿論 シャトー・ド・ヴァランドローのテュヌヴァン氏のことである。1992年産からジェフリー・デイヴィス氏も応援してワイン会の寵児となる。しかし現在は両氏はアメリカ・マーケットをめぐってあまり仲はよくない。


「1999年4月19日、アルノーとゴードはLVMHの専用機に乗り、ボルドーへと飛んだ。雨の日だった。
二人にビジネスマンはそのままリムジンに乗り換え、すぐにイケムへと向かった。アレクサンドルは
勝利者たちをうやうやしく出迎えた。アレクサンドルはいまや、仰々しい肩書きが付いていようと、かっての敵のもとで働く一介の従業員に過ぎなかった。イケムという宝石を守ろうと闘ったのだが、一族が私を裏切ったのだ。」


シャトーイケムのサリュース侯爵がLVMHの雄ベルナール・アルノー氏の軍門に下った日の記述である。実に長きに渡って複雑な関係の中でシャトー・イケムが買収されたのかはまさにこの本でしかわからない。

それら以外にもボルドー・ワインの時代的な流れやその時代を担った人々が網羅されて書かれている。
勿論 あのパーカー氏のことも。映画「モンドヴィーノ」を見てパーカー氏が有名になってもアメリカの片田舎でさほど大きくない家に住んでいるのがこの本でわかったし、シャトー・シュヴァル・ブランでは仕掛けられた犬に足を咬まれたのも知った。

(2006年6月5日更新)

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